剣道時代1978年12月号の記事より



剣道時代1978年12月号(70−73頁)
道場訪問 その24 大阪府・長正館の巻


あけてビックリ玉手箱じゃないが、全国の道場を回ってみると、いろいろな指導法があるものだ。同じ剣道をやるにしても弱いより強いほうがいいのはきまっている。だけど、強い剣士がすばらしい剣士か?といえばそうでもない。じゃあ、どんな剣道が一番いいか?そんな疑問にヒントを与えてくれたのが大阪にある長正館だ。道場に近ずくと“カンカン、カチーン”という音が聞こえるんだもんネ。これがそのヒントだ。鉄平の道場訪問のはじまりはじまりィー!

当てっこ剣道から本物の剣道に…、という傾向が高まっているなか、鉄平は大変な感ちがいをしていた。というのも、どこの道場でもある程度の成績を上げ、ロコミで生徒を集めたり、早く防具をつけさせて、剣道に興味を持たせて指導をするというのが道場経営の常識かと思っていたのだが、ところが、そんなものどこ吹く風―“本物の剣道?当り前でしょう”と、答えが返ってくるような指導をしている道場が大阪の長正館(館長・長井長正範士八段)なのだ。

みんなでつくった道場だ!
大阪の天王寺から近鉄線にのり、5つ目の矢田駅から徒歩3分。道場に近ずくと“カンカンカチーン!”という乾いた音が聞こえてきた。5時20分から始まる練習の15分前である。

道場のなかにはトレパン姿や稽古着を着た少年たちがワンサカ。長正鰭は小学生180名、一般は約80名を数える大世帯。一般社会人は随時20〜30名だが、2部に分かれた小学生の稽古になると常時約80名からの剣士が集まり5.5間×7間の道場はまさにイモの子を洗うようになる。大人数の豆剣士が道場のなかでドッタンバッタンと激しく動き回るわけだが、ある話を聞いてビックリするやら、思わず含み笑いをするやら…。



「この道場はみんなの力でつくったんですよ」と、井上勝由長正館理事長はアルバムの写真を見ながらさりげなく言った。道場は昭和45年4月12日に開館したが、それまでは、昭和37年から大阪錬武会として田辺警察署の道場で長井館長らが中心となり稽古をしていた。

だが、そこが使えなくなり、先生の奥さんが畑にするつもりで買っていた土地を、有志の人たちが、"ぜひ道場に…。ということでつくられたのがきっかけ。そして、仕事が終ったあとそれらの有志が毎日三名ずつの奉仕で11月から3月までの4ヵ月間毎晩11時くらいまで道場づくりに励んだという。

「有志の人たちはとてもじょうずなんですが、正面(神棚)の下のブロックをうけもった私は水平はうまくまっすぐいったけれど、側面が凸凹になってしまった。板を打ちつけたからわからんでしょうが、よう見るとゆがんでます。それに、床をしっかりしたつもりが、波打ってしまって……でもおかげでいいクッションになってます。これができたのも、みんなのおかげ。みんなの道場です。私はしあわせ者です」と、温和な顔をよりほころばせて長井館長は道場が完成するまでの話をしてくれた。とはいうものの、どこを見てもとてもシロウトがつくったとは思えぬ立派な道場である。

指導者も毎回反省するのだ
「みんなでつくった道場ですから、ここで指導されている先生方の心構えがちがいます」とカッと目を開いて館長はいう。他道場には見られないほど指導陣がしっかりしている。30名からの指導者(三段以上)がいて、週3回の練習に含わせてローテーションを組み、常時8人が少年指導にあたっている。指導者の出席簿まであって、稽古時間前に来た先生は◎、遅刻は△となっている。おもな指導は館長が中心となるが、ほかの先生たちの豆剣士を見る目も真剣そのもの。練習後は指導日誌に反省を書きこむなど、熱心さが黙っていても伝わってくるほどだ。指導者の少ない道場からみればうらやましいかぎりである。また、先生の少ない地区には、この道場で育った人たちを指導者として派遣しているそうだというからもう負けそう。

「蒔かぬタネは生えぬ」というが、先生の第2の顔?は種苗屋さんだから、いくらでも優秀なタネを蒔くので立派な苗ができる。どおりで…教え子が道場にもどってきて、みんなで稽古をするわけだ。ン?ちがったかな?



冗談はさておき、試合に勝った負けたという指導だけではこうはいくまい。先生の人柄に加えて、みんなが集まるような環境がいつのまにかできているのだろう。どう説明したらいいかわからないが、肌で感じる部分がある。感覚だけではわかりにくいだろうが、先生の顔(写真)を見れば、この道場の感じがつかめると思う。

練習前に自主稽古!
道場には道場訓があり、また指導方針がある。長正館では「少年剣道は盆栽じゃいけない、荒削りの人間を…」と、のびのびとした剣道を目ざしている。基本も、ほかの道場に類を見ないようなものだ。そろそろ、“カンカン、カチーン”という音の秘密を明かそう。勝負の剣道ではなく、基本のしっかりした剣道を目ざし、ここでは古流の形を教えている。その名を「小野派一刀流」― ジャーン!カツコイイ!

国士館専門学校を卒業した長井館長は、剣道の生き字引きといえる吉田誠宏範士に“専門学校を出たからといっても、古流の形をやらなければ、本当の剣道はわからない”との教えを受け、宗家であった笹森順造範士や、国士館の先生をしておられた小野十生範士に師事して小野派一刀流を学び、道場が建って以来、一刀流の形と日本剣道形を稽古に採用し、宗家の了解を得て、長井館長が考えた、「少年一刀流の形(5本)」を小学生剣士にやらせている。



早く稽吉にきた少年たちが、自主的に少年一刀流の形をやるので、練習前に道場から聞こえたあの音が納得できた。

だが、簡単に木刀を握らせてはもらえない。初心者はトレパン姿に竹刀を持ち、4ヵ月に一度ある昇級審査(礼儀、言葉づかい、技術)に合格して7級か6級、足さばきはもちろん竹力をどう扱ったらいいかがわかり竹刀の上下左有の素振りが正しくできるようになって5級。ここではじめて稽古着と袴をつけて一刀流や剣道形を木刀でできるようになるのだ。防具は4級になると着けられる。少年一刀流の道はなかなか険しい!

「はじめから木刀を持たせたらチャンバラをやりますからね(納得!)それに、ある程度基本ができてからでないと、ケガしますし―。上級者になると、一刀流と剣道形をごっちゃにしてもまちがわずにやります。完全に形を覚えたんでしょうね」と井上理事長は言い、長井範士の良き相手として迫力のある小野派一刀流の形を見せてくれた。



剣道の手本はまず先生から
稽古の内容は、この一刀流の形と切り返し、かかり稽古が中心で、地稽古や試合稽古はほとんどやらない。当然、勝つ剣道ではなく、基本のしっかりした剣道をやらせているわけだ。

また、この道場では試合には基本的に出さず、どうしてもことわりきれないところや、義理で欠かせないところにだけ参加するという。

「うちの子は、思いきり大技で打っていきますし、勝負は教えてないからヘタで、たまに入賞することもありますが、試合ではたいてい2回戦くらいで負けます。しかも、負けても涙一つ見せず、ケロッとした顔しているので“すこしはくやしそうな顔しろよ”というくらいです」と笑いながら井上理事長がいうくらい、ここの子は勝ち負けにこだわってない。

そのかわり、大会のときに観客注目のなかで少年一刀流の形を堂々と演武できる。この演武が好評で、あちこちの大会にひっぱり出されることになるそうである。少年一刀流、日本剣道形を見せてもらったが、なるほど、切りむすびなど道力満点。剣道形もピーンと張った状態が、見ていてひしひしと伝わってくる。見事な形である。

「心が相手の体を切ったんだとか、相手をどう生かすか?ということは、少年にはわからないもの。まず、木刀になじませてから教えます」長井館長。「剣道は試合だけではない、立派な人間をつくるんだ」という方針があるものの、形と切り返しだけで少年たちは稽古についてくるのか?と、う疑問を持った。というのも、試合の勝ち負けよりも剣道をやると地方に行けるのが楽しいという子もいるはずだ。

ところが、感心なことに屋外活動の一環として、東大寺整肢園という身体障害児のところに慰問するなどの奉仕活動をはじめ、剣道の方も「いっしょうけんめいにしよったら楽しくなった」と書う6年生の小村クン、「やれとすすめられて始めましたが、小学6年生まではやります」「どうして6年生まで?」と質問すると…「中学生までつづけるかもしれないよ」と、4年生の和泉クンはいう。月に2回ずつ必ずおこられるという3年生の水谷クンからも「ウン楽しい」という答が返ってきた。豆剣土たちは結構満足しているようだ。

館長は「年2回の父兄会を開いて、父兄に剣道を理解してもらい、また、話したことを自分から卒先してやり、指導者にもそうさせ、剣道はこういうものだと親と子に理解してもらうまで苦労でした。礼儀や挨拶にしても、道場だけでなく、学校でも剣道をやっている子はちがうといわれるようにならなければだめだ!と注意し、学校長に話をして学校での態度はどうかを見てもらってます。そうしてみんなしっかりした態度になりました」と話してくれた。

まさに先生のいわれるとおり礼儀や態度、言葉づかいまで、少年から一般の人たちすべてが正しい。もう一つ、これはほかの道場でもマネするといいと思うが、館長が子どもたちをひきつけるような話をし、また、練習中の注意をする。そうして、練習が終わると無差別に“今日は練習前にどんな注意を受けたか言ってみろ!”と復唱させる。こうすれば、稽古中でも注意されたことを懸命に忘れまいと緊張して稽古するようになり、当然の結果として、だんだん先生の話を真剣に聞き、そして覚えるようになるわけだ。いかがでしょう?

剣道キライ!長正館好き?
指導の成果は、2部の豆剣士の切り返しとかかり稽古の元に立ち練習をしてみてよくわかった。とても大きな動作でのびのびと打つ。木刀を使った練習がいかに刃筋がしっかりするか注意してみると、みんな確実な打ち方をしていた。

“あッ弦が横になった子がいた”とうとう1人見つけたたぞ!!さあどう打ってくるか?と思っていたら竹刀をクルクルと固すや弦を上にして大きくメーン。とうとう刃筋のよくない子はいなかったのである。サスガ!



少年たちを指導しておられる一般の人たちの稽古と一刀流も見せていただいた。
“一ツ勝”― ツツツーと間合に入るやカーンと切り落とし、そして残心。ド迫力!すごいのなんのって、息つくヒマもないくらいの小野派一刀流。なにを隠そう鉄平も「鉄平流」を編み出す前は小野派一刀流を50本まではマスターしたのだが…。ムムッ、できすぎ!稽古前に戦意そう失しそう。だが敗れることを知らない鉄平流だ!

ムムッ、またしても鉄平が負けそうになったのは、一般の人たちまで切り返しとかかり稽古をやるのだ。みんな会社の社長さんやら商店の旦那さんばかり。汗をかいてうまいビールを飲もうと稽古するのではなく、本格的な稽古だからたまらない。みなさんいいお歳なのにウソみたい。

 ア然とした気持ちが抜けきれぬままメンをつけ、館長に一本お願いした。出れば相打ちのメ一ン。へへーッこれくらい間合があれば打ってこないだろうと思って、どこを攻めて打とうかなと立っていたら、金しばりでもあつたかのように動けず、思わずアッと声がもれてしまった。館長の跳びこみメンが炸裂、ひさびさに打たれ“マイッタ!”とすなおな気持ちになるメンをいただいた。

井上理事長ほか3人の方と稽古したが、いや強いのなんの、町道場でこんなに地力のある人を揃えるなんて長井館長はじめ長正館の門人はただ者ではない。と思うとともに、剣道のおもしろさというものを感じた。

「大事なことは自分以上の指導者を育てることだと思い、これまでやってきましたが、私のあともみんなが長正館を守ってくれます。“剣道はキライだが長正館は好き”と家内がいうくらい長正館は人にめぐまれてます」と、しみじみ語る長井館長。どんな大人物がここから育っか、期待に胸をふくらませる気持ちでいっぱいになった。
(本誌・白石裕通)



剣道日本
http://www.skijournal.co.jp/kendo/



このページは1978年12月号70〜73ページから引用しました。
(記事引責:長正館 粕井 誠)



写真館甲
長正館の資料より
長井長正「剣道即生活」
剣道日本1978年12月号
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